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朝月の日向黄楊櫛古りぬれど
何しか君が見れど飽かざらむ

歌の意味
朝の月が日に向かうという日向の黄楊の櫛のように、古くなってしまったけれど、どうしてあなたは、見ても見飽きないのだろう。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2500

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 長く使い古した日向の黄楊の櫛に寄せて、長い年月が過ぎたのに、なぜあなたは見ても見飽きないのだろうと、変わらぬ愛情をいぶかしむように述べた歌である。長く連れ添った相手に、年を経てもなお新しい思いを抱く情愛がうかがわれる。
 黄楊の櫛という女性の身の回りの品に寄せている。本巻の第二千四百八十八首と同じく「何しか」と問いかける形をとり、第二千五百三首では黄楊の枕が詠まれている。次歌以降のまそ鏡、床の辺、枕といった身辺の品に寄せる歌の一連へとつながっていく。
 作者は未詳であり、左注によれば柿本人麻呂歌集に出る歌である。人麻呂歌集には人麻呂自身の作と、人麻呂が書き留めた他の人々の歌とが含まれるとされる。柿本人麻呂は持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、三十六歌仙の一人である。

 初句「朝月の」は、二句の「日向」にかかる枕詞である。朝の月が日に向かうように見えることからかかるとされる。
 二句「日向黄楊櫛」は、日向の国で産する黄楊の櫛をいう。黄楊の櫛は日向の名産として知られた。初句からこの句までが序詞で、櫛が使い古されることから三句の「古りぬれど」を導いている。
 三句「古りぬれど」は、古くなってしまったけれど、の意である。櫛が古びることに、二人が長い年月をともにしたことを重ねている。
 四句「何しか君が」は、どうしてあなたが、の意である。「何しか」の「か」は疑問の係助詞で、結句の「む」と係り結びをなす。
 結句「見れど飽かざらむ」は、見ても見飽きないのだろう、の意である。推量の助動詞「む」の連体形で四句の「か」を受けて結び、いぶかしむ形で変わらぬ思いを表している。

ひむか:日向の国。現在の宮崎県にあたる
つげくし:黄楊の木で作った櫛
ふる:古くなる、年月を経る
作者
柿本人麻呂歌集
出典
万葉集
前の歌
我妹子に恋ひしわたれば剣大刀 名の惜しけくも思ひかねつも
次の歌
里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡 床の辺去らず夢に見えこそ