誰れぞこの我が宿来呼ぶたらちねの
母に嘖はえ物思ふ我れを
- 歌の意味
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誰なのだ、この私の家に来て呼ぶのは。母に叱られて物思いに沈んでいるこの私を。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2527
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
家の戸口まで来て自分を呼ぶ男に向かい、母に叱られて物思いをしている私を誰が呼ぶのかと言い放った、女の恋の歌である。母の監視という恋の障害のもとで、来てくれたうれしさと、母の手前それに応えられないもどかしさとが入り混じっており、母に聞かせるためにわざと相手を知らぬふりをした言葉とも解される。
本巻の第二千五百三十七首も「たらちねの母」を詠んで母に隠した恋心を歌い、第二千五百四十五首は「誰ぞかれ」と問われることを恐れて使いを帰す歌である。家の者の目をはばかる恋という点で、これらの歌は本歌と通い合うものである。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「誰れぞこの」は、誰だ、この…の意である。係助詞「ぞ」による問いかけで唐突に歌い起こし、驚きと戸惑いを示している。
二句「我が宿来呼ぶ」は、私の家に来て呼ぶ、の意である。初句の「ぞ」の結びとして連体形「呼ぶ」で受け、ここで句切れとなる。以下は倒置的に、呼ばれている自分の有様を述べる。
三句「たらちねの」は「母」にかかる枕詞である。
四句「母に嘖はえ」は、母に叱られて、の意である。「嘖はゆ」は叱る意の「嘖ふ」に受身の助動詞「ゆ」が付いた形である。
結句「物思ふ我れを」は、物思いに沈んでいる私なのに、の意である。助詞「を」は詠嘆を込めて言いさす働きをし、二句の「呼ぶ」に返って、こんな私をなぜ呼ぶのかという思いを残している。
やど:家。家の戸口のあたり
ころふ:叱る、責めとがめる
ものおもふ:恋の思いに沈む
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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待つらむに至らば妹が嬉しみと 笑まむ姿を行きて早見む
- 次の歌
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さ寝ぬ夜は千夜もありとも我が背子が 思ひ悔ゆべき心は持たじ