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家人は道もしみみに通へども
我が待つ妹が使来ぬかも

歌の意味
家の人々は道もびっしりと行き来しているけれども、私が待っている妻からの使いは来ないことだ。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2529

詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
 道があふれるほどに家の人々が行き来しているのに、自分が待ちわびる妻からの使いだけは来ないと嘆いた、男の恋の歌である。人々のにぎやかな往来と、ただ一人の便りを待つ自分の寂しさとを対比させ、待つ心のつらさを率直に述べている。
 使いを待つことは本巻のこの辺りで繰り返し詠まれており、本巻の第二千五百四十三首は女の側から恋人の使いを待ちかねる歌、第二千五百四十五首は来た使いを帰してしまう歌である。待つ男と待つ女、来ない使いと帰される使いとが並び、恋の便りをめぐる様々な場面を見せている。
 作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。

 初句「家人は」は、家の人々は、の意である。係助詞「は」が、四句以下の「我が待つ妹が使」と対比させる働きをしている。
 二句「道もしみみに」は、道もいっぱいになるほどびっしりと、の意である。「しみみに」は隙間なく茂るさまや、ぎっしり詰まったさまを表す語である。
 三句「通へども」は、行き来しているけれども、の意である。逆接の「ども」で上の句の往来のにぎわいを受け、下の句の嘆きへと転じている。
 四句「我が待つ妹が」は、私が待っている妻の、の意である。「妹」は男性が妻や恋人を親しんで呼ぶ語である。
 結句「使来ぬかも」は、使いが来ないことよ、の意である。「かも」は詠嘆の終助詞で、待っても来ない便りへの嘆きを込めて歌い収めている。

いへびと:家の人、家族
いも:男性が妻や恋人を親しんで呼ぶ語
つかひ:恋人の間で便りを伝える使者
出典
万葉集
前の歌
さ寝ぬ夜は千夜もありとも我が背子が 思ひ悔ゆべき心は持たじ
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あらたまの寸戸が竹垣網目ゆも 妹し見えなば我れ恋ひめやも