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あらたまの寸戸が竹垣網目ゆも
妹し見えなば我れ恋ひめやも

歌の意味
(あらたまの)寸戸の竹垣の編み目からでも、妻の姿が見えるのなら、私はこれほど恋い慕うだろうか、いや恋い慕いはしない。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2530

詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
 竹垣の編み目のわずかな隙間からでも妻の姿が見えるなら、これほど恋しく思いはしないだろうと、逢えない苦しさを歌った男の恋の歌である。編み目越しにでもよいという控えめな望みを示すことで、かえって全く姿を見ることのできない今の切なさを際立たせている。
 本巻の第二千五百三十四首も枕詞「あらたまの」を用いるが、そちらは通例どおり「年」にかかり、本歌では地名「寸戸」にかかっている。同じ枕詞の異なるかかり方を近い位置に並べている点が注目される。
 作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。

 初句「あらたまの」は枕詞で、ここでは地名「寸戸」にかかる。寸戸は巻第十四の第三千三百五十三首に「あらたまの伎倍」と詠まれた遠江国の地とする説がある。
 二句「寸戸が竹垣」は、寸戸の竹垣の意である。竹を編んで作った垣根で、恋人の家を囲むものである。
 三句「網目ゆも」は、編み目からでも、の意である。「ゆ」は経由する所を示す格助詞で、「も」がせめてそこからでも、という気持ちを添えている。
 四句「妹し見えなば」は、妻の姿が見えたならば、の意である。「し」は強意の助詞、「なば」は完了の助動詞「ぬ」の未然形に「ば」が付いた仮定条件である。
 結句「我れ恋ひめやも」は、私が恋い慕うだろうか、いやしない、の意である。「めやも」は推量の「む」の已然形に反語の「やも」が付いた形で、反語によって逢えない嘆きを強く表している。

きへ:地名。遠江国の伎倍とする説がある
たけがき:竹を編んで作った垣根
あみめ:竹などを編んだ目、隙間
出典
万葉集
前の歌
家人は道もしみみに通へども 我が待つ妹が使来ぬかも
次の歌
我が背子がその名告らじとたまきはる 命は捨てつ忘れたまふな