面忘れだにもえすやと手握りて
打てども懲りず恋といふ奴
- 歌の意味
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せめて顔を忘れることだけでもできないかと、拳を握って打ちすえても懲りない、恋というやつは。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2574
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
恋しい人の顔をせめて忘れることだけでもできないかと、拳で打ちこらしめても、恋というものは少しも懲りないと、恋を擬人化して詠んだ歌である。恋を言うことを聞かない召使いに見立てて打ちすえるという誇張に、どうにもならない恋の思いへのいらだちと、それを笑いに転じる余裕とが表れている。
心の思いを直接述べる「正に心緒を述ぶ」の一首である。恋を「奴」と呼ぶ表現は万葉集のなかでも珍しく、ユーモアのある恋の歌として知られている。本巻の第二千五百三十三首や第二千五百九十一首にも「面忘れ」の語が見え、顔を忘れられないことが恋の苦しさとして繰り返し詠まれている。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「面忘れ」は、相手の顔を忘れること、の意である。恋しい人の面影を忘れたいという願いを示している。
二句「だにもえすやと」は、せめてそれだけでもできないかと、の意である。「だに」は最小限の限定、「え」は可能を表す副詞、「や」は疑問である。
三句「手握りて」は、拳を握りしめて、の意である。恋を打ちこらしめる身ぶりを示している。
四句「打てども懲りず」は、打っても懲りない、の意である。逆接の「ども」で、こらしめても効き目のないことをいう。
結句「恋といふ奴」は、恋というやつは、の意で、体言止めである。恋を卑しい召使いを意味する「奴」に見立て、擬人化している。
おもわすれ:相手の顔を忘れること
やつこ:召使い、奴婢。ここでは恋を卑しめて呼ぶ
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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心さへ奉れる君に何をかも 言はず言ひしと我がぬすまはむ
- 次の歌
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めづらしき君を見むとこそ左手の 弓取る方の眉根掻きつれ