相見ては幾久さにもあらなくに
年月のごと思ほゆるかも
- 歌の意味
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逢ってからいくらも日数がたっていないのに、何年もたったかのように思われることだ。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2583
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
逢ってからまだいくらもたっていないのに、まるで何年も過ぎたかのように長く感じられると、逢えない間の時の長さを詠んだ歌である。恋しさのあまり、わずかな日々が年月のように思われる心の動きを素直に言い表している。
心の思いを直接述べる「正に心緒を述ぶ」の一首である。本巻の第二千五百六十七首と同じく「相見ては」と歌い起こしており、逢った後の心のありようを詠む点でも共通している。わずかな日数と年月という、同じ時の長さを別の尺度で対比させた点に工夫がある。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「相見ては」は、逢ってからは、の意である。本巻の第二千五百六十七首の初句と同じ句で、逢瀬の後の時を詠み起こしている。
二句「幾久さにも」は、どれほどの長さにも、の意である。「幾久さ」はどれほど久しいかを表す語で、わずかな日数しか過ぎていないことをいう。
三句「あらなくに」は、ないのに、の意である。打消の助動詞「ず」のク語法に助詞「に」が付いた形で、逆接を表している。
四句「年月のごと」は、何年もの年月のように、の意である。比況の「ごと」で、短い日々を長い年月にたとえている。
結句「思ほゆるかも」は、思われることだ、の意である。「思ほゆ」は自然にそう思われる意で、終助詞「かも」が詠嘆を表している。
あひみる:互いに顔を合わせる、男女が逢う
いくびささ:どれほど久しいか、どれほどの間
- 出典
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万葉集
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あづきなく何のたはこと今さらに 童言する老人にして
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ますらをと思へる我れをかくばかり 恋せしむるは悪しくはありけり