恋死なむ後は何せむ我が命
生ける日にこそ見まく欲りすれ
- 歌の意味
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恋い死にしてしまった後では何になろう。私の命が生きている日にこそ、逢いたいと思うのだ。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2592
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
恋い焦がれて死んでしまってからでは何にもならない、命のあるうちにこそ逢いたいのだと、恋人に逢うことを強く求めた歌である。恋のために死ぬという誇張を用いながら、生きている今こそが大切だという切実な願いを率直に述べている。
巻第四の第五百六十首、大伴百代の歌「恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ」とほぼ同じ発想と言葉を持つ類歌である。当時広く口ずさまれた言い回しが、それぞれの歌に取り込まれたものと考えられる。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「恋死なむ」は、恋い死にするだろう、の意である。恋の苦しさのあまり死ぬことをいい、万葉集の恋の歌によく見られる表現である。
二句「後は何せむ」は、その後では何になろうか、何にもならない、の意である。「何せむ」は反語で、ここで意味が切れる二句切れの歌である。
三句「我が命」は、私の命、の意である。下の「生ける日」へ続き、命のある間という限りを意識させる句である。
四句「生ける日にこそ」は、生きている日にこそ、の意である。係助詞「こそ」が生きている今を強く取り立て、結句の已然形「すれ」で結ぶ係り結びとなっている。
結句「見まく欲りすれ」は、逢いたいと思うのだ、の意である。「見まく」は「見む」のク語法で、見ること、逢うことの意である。「欲りすれ」は四句の「こそ」を受けた已然形の結びである。
こひしぬ:恋の苦しさのあまり死ぬ
ほりす:欲しいと思う、望む
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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人言の繁き間守ると逢はずあらば つひにや子らが面忘れなむ
- 次の歌
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敷栲の枕響みて寐ねらえず 物思ふ今夜早も明けぬかも