夢にだに何かも見えぬ見ゆれども
我れかも惑ふ恋の繁きに
- 歌の意味
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せめて夢にだけでも、どうしてあなたは見えないのか。いや、見えてはいるのに、私が惑って気づかないのだろうか、恋の思いがあまりに激しいために。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2595
詞書は前の歌に続き「正に心緒を述ぶ」
夢にさえ恋人が見えないことをいぶかり、見えているのに恋の思いが激しすぎて自分が惑い、それと気づかないのだろうかと思い返した歌である。夢に見えないのは相手の心が離れたからではないと思いたい心の揺れを、自問自答の形で詠んでいる。
本巻の第二千五百八十九首が、夢に見えないことから相手は自分を思っていないらしいと推し量ったのに対し、本歌は夢に見えない理由を自分の惑いに求めており、同じ夢の主題を反対の方向から扱っている。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「夢にだに」は、せめて夢にだけでも、の意である。副助詞「だに」は、現実に逢えないならせめて夢でも、という最小限の願いを表している。
二句「何かも見えぬ」は、どうして見えないのか、の意である。係助詞「か」に詠嘆の「も」が添い、連体形「見えぬ」で結ぶ係り結びとなっている。ここで意味が切れる二句切れの歌である。
三句「見ゆれども」は、見えてはいるけれども、の意である。二句の問いを自ら打ち消し、思い直す転換の句である。
四句「我れかも惑ふ」は、私が惑っているのだろうか、の意である。係助詞「か」と「も」によって疑問を表し、連体形「惑ふ」で結ぶ係り結びとなっている。
結句「恋の繁きに」は、恋の思いが激しいために、の意である。「繁き」は形容詞の連体形で、思いの多さ、激しさを表し、「に」は原因を示している。四句と結句は倒置の関係にある。
いめ:夢の古い形
まとふ:心が乱れて判断がつかなくなる
- 出典
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万葉集
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行かぬ我れを来むとか夜も門閉さず あはれ我妹子待ちつつあるらむ
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慰もる心はなしにかくのみし 恋ひやわたらむ月に日に異に