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難波人葦火焚く屋の煤してあれど
おのが妻こそ常めづらしき

歌の意味
難波の人が葦火を焚く家が煤けているように、古びて煤けてはいても、自分の妻こそはいつも愛しく新鮮である。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2651

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 難波の人が葦を燃やす家が煤けているように、長年連れ添って古びて見えても、自分の妻こそはいつ見ても愛しいと、妻への変わらぬ愛情を詠んだ歌である。煤けた家という飾らない景物に寄せて、長く連れ添った妻への親しみを率直に言い表している。
 上二句は、葦火を焚く家の煤けたさまから「煤して」を導く序詞である。難波は葦の生い茂る地として知られ、その土地の暮らしぶりを序に取り入れている。前々歌の鹿火に続いて火に寄せた一首であり、山里の火と海辺の葦火とが近くに並んでいる。
 作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。

 初句「難波人」は、難波(今の大阪市一帯)に住む人をいう。難波は葦の多い土地として知られていた。
 二句「葦火焚く屋の」は、葦を燃料として火を焚く家の、の意である。ここまでの二句が序詞となり、「煤して」を導いている。
 三句「煤してあれど」は、煤けてはいるけれどの意である。家の煤けたさまに、長年連れ添って古びた妻の姿を重ねている。
 四句「おのが妻こそ」は、自分の妻こそはの意である。係助詞「こそ」が妻を強く取り立て、結句と呼応している。
 結句「常めづらしき」は、いつも愛しく心ひかれるの意である。「めづらし」は賞美すべき、新鮮で愛すべきの意で、ここでは連体形で四句の「こそ」を受けて結んでおり、古い係り結びの形を示している。

あしび:葦を燃料として焚く火
や:家、建物
出典
万葉集
前の歌
そき板もち葺ける板目のあはざらば いかにせむとか我が寝そめけむ
次の歌
妹が髪上げ竹葉野の放れ駒 荒びにけらし逢はなく思へば