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あしひきの山鳥の尾の一峰越え
一目見し子に恋ふべきものか

歌の意味
山鳥の尾のような一つの峰を越えて、ただ一目見ただけの娘に、これほど恋い焦がれてよいものだろうか。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2694

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 峰を一つ越えた先でただ一目見ただけの娘に、これほど恋してよいものだろうかと、自分の恋心をいぶかしむ男の歌である。わずかな出会いで心を奪われた驚きと、どうにもならない恋しさとが、反語の形で言い表されている。
 山鳥に寄せる歌であり、上三句は「ひと」の音を重ねて「一目」を導く序詞となっている。「あしひきの山鳥の尾の」という初二句は、本巻の第二千八百二首の或本歌として左注に見え、のちに『拾遺和歌集』に人麻呂の作として入って『小倉百人一首』に採られた「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の」の歌と同じ言い起こしである。
 作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。

 初句「あしひきの」は「山」にかかる枕詞である。ここでは「山鳥」を導いている。
 二句「山鳥の尾の」は、山鳥の尾のの意である。山鳥の長い尾を言い出し、尾の意の「を」と峰の意の「を」との同音によって、次の「一峰」へと続けている。
 三句「一峰越え」は、一つの峰を越えての意である。「ひとを」の「ひと」の音が次の「一目」を導き、初句からここまでが序詞となる。恋しい娘が峰の向こうに住むことも思わせる。
 四句「一目見し子に」は、ただ一目見ただけの娘にの意である。「し」は過去の助動詞「き」の連体形、「子」は親しみを込めて若い女性を呼ぶ語である。
 結句「恋ふべきものか」は、恋い焦がれてよいものだろうかの意である。「べき」は当然の助動詞「べし」の連体形、「ものか」は反語で、恋すべきではないと思いつつも恋せずにいられない心を表している。

やまどり:キジ科の鳥。雄は長い尾をもつ
を:山の峰、尾根
こふ:恋する、恋い慕う
出典
万葉集
前の歌
かくばかり恋ひつつあらずは朝に日に 妹が踏むらむ地にあらましを
次の歌
我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる 富士の高嶺の燃えつつかあらむ