我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる
富士の高嶺の燃えつつかあらむ
- 歌の意味
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いとしいあの子に逢う手立てがないので、駿河の富士の高嶺のように、恋の思いに燃え続けていることだろうか。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2695
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
恋しい人に逢う手立てがないまま、駿河の富士の高嶺が燃え続けるように、自分も恋の火に燃え続けるのだろうかと嘆く男の歌である。噴煙を上げる富士山の姿に、消えることのない恋の思いを重ねた、スケールの大きな比喩が印象的である。
本歌から富士山に寄せる歌が続き、本巻の第二千六百九十七首も「富士の高嶺の燃えつつ」と詠んでいる。当時の富士山は火を噴く山として知られ、巻第三の第三百十九首の富士山を詠む長歌にも、燃える火を雪で消し、降る雪を火で消すと詠まれている。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「我妹子に」は、いとしいあの子にの意である。「我妹子」は男が恋人を親しんで呼ぶ語である。
二句「逢ふよしをなみ」は、逢う手立てがないのでの意である。「よし」は手段、方法、「をなみ」は「〜が無いので」の意を表す、いわゆるミ語法である。
三句「駿河なる」は、駿河にあるの意である。「なる」は所在を表す。ここから四句までが序詞として結句の「燃え」を導いている。
四句「富士の高嶺の」は、富士山の高い峰のの意である。「の」は「〜のように」の意を表し、噴煙を上げる富士の姿を恋の火の比喩としている。
結句「燃えつつかあらむ」は、燃え続けていることだろうかの意である。係助詞「か」と推量の助動詞「む」の連体形「む」とが係り結びをなし、やり場のない恋の思いを自問するように結んでいる。
わぎもこ:男性が恋人や妻を親しんで呼ぶ語
よし:手段、方法
たかね:高い峰
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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あしひきの山鳥の尾の一峰越え 一目見し子に恋ふべきものか
- 次の歌
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荒熊のすむといふ山の師歯迫山 責めて問ふとも汝が名は告らじ