妹が名も我が名も立たば惜しみこそ
富士の高嶺の燃えつつわたれ
- 歌の意味
-
あの子の名も私の名も、噂に立ったら惜しいからこそ、富士の高嶺のように、ひそかに燃え続けて過ごしているのだ。
- 鑑賞
-
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2697
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
恋人の名も自分の名も噂になっては惜しいからこそ、思いを表に出さず、富士の高嶺のように内に燃え続けて日を送っているのだと詠む男の歌である。噂を恐れて思いを秘める忍ぶ恋の苦しさを、燃え続ける富士山に託している。
富士山に寄せる歌で、本巻の第二千六百九十五首と同じく「富士の高嶺の」を序として「燃え」を導いている。そちらは逢う手立てのなさから燃え続ける恋を嘆き、本歌は噂を恐れて自ら思いを秘めるがゆえに燃え続けるとしており、同じ比喩を異なる事情に用いている。
なお左注には「或歌曰」として、「君が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつも居れ」という別伝の歌が記されている。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「妹が名も」は、あの子の名もの意である。「名」は評判、噂のことで、係助詞「も」によって次の「我が名も」と並べている。
二句「我が名も立たば」は、私の名も噂に立ったならの意である。「立た」は四段動詞「立つ」の未然形、「ば」は仮定条件を表し、二人の仲が人に知られることを恐れている。
三句「惜しみこそ」は、惜しいからこその意である。「惜しみ」は形容詞「惜し」の語幹に「み」が付いたミ語法で理由を表し、係助詞「こそ」が結句の已然形「わたれ」と係り結びをなす。
四句「富士の高嶺の」は、富士山の高い峰のの意である。「の」は「〜のように」の意で、ここまで富士の比喩が結句の「燃え」を導いている。
結句「燃えつつわたれ」は、燃え続けて過ごしているの意である。「わたる」は時を過ごす意を表し、三句の「こそ」を受けて已然形「わたれ」で結んでいる。
な:評判、うわさ
わたる:時を過ごす、ずっと〜し続ける
たかね:高い峰
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
荒熊のすむといふ山の師歯迫山 責めて問ふとも汝が名は告らじ
- 次の歌
-
君が名も我が名も立たば惜しみこそ 富士の高嶺の燃えつつも居れ