行きて見て来れば恋ほしき朝香潟
山越しに置きて寐ねかてぬかも
- 歌の意味
-
行って見て帰って来ると恋しくなる朝香潟を、山の向こうに置いてきて、眠ることもできないことだ。
- 鑑賞
-
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2698
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
行って見てきたばかりなのに、帰ると恋しくてならない朝香潟を山の向こうに置いてきて、眠ることもできないと詠む歌である。朝香潟にはそこに住む恋しい人が重ねられており、山に隔てられた相手を思って眠れない夜の切なさが詠まれている。
前の富士山の歌に続いて、本歌からは朝香潟、阿太、明日香川と、地名に寄せる歌が並んでいる。朝香潟は摂津国住吉の浅香の浦のことと考えられ、今の大阪府の堺市付近とされる。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「行きて見て」は、行って見ての意である。恋しい人のもとを訪れたことを、朝香潟を見に行ったこととして言い表している。
二句「来れば恋ほしき」は、帰って来ると恋しいの意である。「恋ほし」は「恋し」の古い形で、見たばかりなのにかえって恋しさが募る心を表している。
三句「朝香潟」は地名で、摂津国住吉の浅香の浦とされる。恋しい人の住む地であり、その人そのものを重ねて言っている。
四句「山越しに置きて」は、山の向こうに置いての意である。八音の字余りの句で、山に隔てられた遠さを表している。
結句「寐ねかてぬかも」は、眠ることができないことだの意である。「寐」は眠ること、「かて」は「〜することができる」意の動詞「かつ」の未然形、「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形で、「かも」で詠嘆を込めて結んでいる。
い:眠り
かつ:〜することができる、〜に耐える
かた:遠浅の海で潮が引くと現れる干潟
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
君が名も我が名も立たば惜しみこそ 富士の高嶺の燃えつつも居れ
- 次の歌
-
阿太人の梁打ち渡す瀬を早み 心は思へど直に逢はぬかも