我妹子に我が恋ふらくは水ならば
しがらみ越して行くべく思ほゆ
- 歌の意味
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いとしいあの子を私が恋しく思う思いは、もしも水であったなら、しがらみさえも越えて流れて行くだろうと思われる。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2709
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
あの子を恋しく思う気持ちを水に見立て、もし水であったならせき止めるしがらみも越えて流れて行くだろうと、恋心の激しさを詠んだ歌である。抑えようとしても抑えきれない思いの強さを、仮定の形で大胆に表している。
水の流れに寄せて思いを述べた歌であり、恋心そのものを水に喩えている点に特色がある。しがらみを詠む点で本巻の第二千七百二十一首と共通するが、あちらが恋の淀む心を嘆くのに対し、本歌はしがらみを越えてあふれる恋を詠んでおり、対照的である。
なお原文には「或本歌発句云 相思はぬ人を思はく」という異伝が注記されている。これによれば上の二句は、思ってくれない人を思うことは、の意となる。ここでは本文の「我妹子に我が恋ふらくは」を採った。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「我妹子に」は、いとしいあの子に、の意である。「我妹子」は男性が恋人や妻を親しんで呼ぶ語である。
二句「我が恋ふらくは」は、私が恋しく思うことは、の意である。「恋ふらく」は動詞「恋ふ」のク語法で、恋すること、の意を表している。
三句「水ならば」は、もし水であったならば、の意である。恋心を水に見立てる仮定を示している。
四句「しがらみ越して」は、川の流れをせき止めるしがらみを越えて、の意である。人目や世間の妨げをしがらみに喩えていると読める。
結句「行くべく思ほゆ」は、流れて行くにちがいないと思われる、の意である。「べく」は推量の助動詞「べし」の連用形、「思ほゆ」は自然にそう思われる意を表している。
わぎもこ:男性が恋人や妻を親しんで呼ぶ語
しがらみ:川の流れをせき止めるために、杭を打ち並べて柴や竹を絡ませたもの
おもほゆ:自然に思われる
- 出典
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万葉集
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しなが鳥猪名山響に行く水の 名のみ寄そりし隠り妻はも
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犬上の鳥籠の山なる不知哉川 いさとを聞こせ我が名告らすな