水鳥の鴨の棲む池の下樋なみ
いぶせき君を今日見つるかも
- 歌の意味
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水鳥の鴨の棲む池に下樋がなくて水がこもっているように、逢えずに心の晴れなかったあなたを、今日見ることができたことだ。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2720
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
鴨の棲む池に水を流し出す下樋がなく、水がこもったままであるように、思いが晴れずにいた相手に今日ようやく逢えた喜びを詠んだ歌である。出口のない池の水に、逢えずに鬱々としていた心を重ねている。
池の下樋に寄せて思いを述べた歌である。前の二首が心に秘める恋を詠んだのを受けて、本歌は秘めた思いが鬱積したあとにようやく逢えた喜びを述べている。逢えないまま忍び続ける歌が多く並ぶなかで、逢うことのかなった歌である。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「水鳥の」は、「鴨」にかかる枕詞である。
二句「鴨の棲む池の」は、鴨が棲んでいる池の、の意である。この句は字余りである。
三句「下樋なみ」は、下樋がないので、の意である。「なみ」は形容詞「なし」の語幹に接尾語「み」が付いた形で、理由を表している。水の出口がなく池に水がこもる様子をいい、初句からここまでが序詞として四句の「いぶせき」を導いている。
四句「いぶせき君を」は、心が晴れずに思い続けていたあなたを、の意である。「いぶせし」は、思いが鬱積して気が晴れないさまをいう。
結句「今日見つるかも」は、今日見ることができたことだ、の意である。「見る」は逢うことをいい、「かも」は詠嘆を表して、ようやく逢えた喜びを込めている。
したび:地中に埋めて水を通す樋
- 出典
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万葉集
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隠り沼の下に恋ふれば飽き足らず 人に語りつ忌むべきものを
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玉藻刈るゐでのしがらみ薄みかも 恋の淀める我が心かも