玉藻刈るゐでのしがらみ薄みかも
恋の淀める我が心かも
- 歌の意味
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玉藻を刈る堰のしがらみが薄いからだろうか。恋がとどこおっている私の心であることよ。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2721
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
玉藻を刈る堰のしがらみに寄せて、恋が思うように進まずとどこおっている自分の心を見つめた歌である。そのわけを堰のしがらみの薄さに求めて自問し、思うにまかせない恋のもどかしさを述べている。
堰のしがらみに寄せて思いを述べた歌である。しがらみと恋の淀みとがどう結びつくかについては解釈が分かれており、定説を見ない。前歌が池の水のこもる様子を詠んだのを受けて、本歌も水がとどこおる様子に恋を重ねている。また「ゐで」は本巻の第二千七百十七首に、「しがらみ」は第二千七百九首にも見え、川の水に寄せる歌の一群をなしている。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「玉藻刈る」は、美しい藻を刈る、の意で、「ゐで」を修飾している。「玉」は美称である。
二句「ゐでのしがらみ」は、堰に設けたしがらみ、の意である。しがらみは杭を打ち並べて木の枝や竹を絡ませ、水の流れをせき止めるものである。
三句「薄みかも」は、薄いからだろうか、の意である。「薄み」は形容詞「薄し」の語幹に接尾語「み」が付いた形で、理由を表している。「かも」は疑問を表し、ここで句切れとなる。
四句「恋の淀める」は、恋がとどこおっている、の意である。水が淀む様子を恋が進まない様子に重ねている。
結句「我が心かも」は、私の心であることよ、の意である。三句の疑問の「かも」に対して、ここでは詠嘆の「かも」で結び、二つの「かも」を響き合わせている。
ゐで:川の水をせき止めた所、堰
しがらみ:杭を打ち並べて木の枝や竹を絡ませ、水の流れをせき止めるもの
よどむ:水がとどこおって流れない
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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水鳥の鴨の棲む池の下樋なみ いぶせき君を今日見つるかも
- 次の歌
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我妹子が笠のかりての和射見野に 我れは入りぬと妹に告げこそ