あぢの住む渚沙の入江の荒礒松
我を待つ子らはただ独りのみ
- 歌の意味
-
あぢ鴨の住む渚沙の入江の荒磯の松、その「まつ」のように、私を待っている娘は、ただ一人だけである。
- 鑑賞
-
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2751
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
自分を待ってくれている娘は、ただ一人あの子だけだと詠んだ恋の歌である。入江の荒磯に立つ松の名を借りて、自分を待つ恋人への一途な思いと、その人のいとしさを表している。
荒磯の松という物に寄せた寄物陳思の歌で、前歌の安倍橘に続いて樹木が詠まれている。松から「待つ」を引き出す言葉の連想は万葉集に多く見られ、本歌もその典型である。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「あぢの住む」は、あぢ鴨が住む、の意である。あぢは鴨の一種で、群れをなして水辺に住む鳥である。
二句「渚沙の入江の」は、渚沙という所の入江の、の意である。渚沙の所在については諸説がある。
三句「荒礒松」は、岩の多い荒磯に生える松である。初句からここまでが序詞で、「松」と「待つ」の同音によって四句の「待つ」を導いている。
四句「我を待つ子らは」は、私を待っている娘は、の意である。「子ら」の「ら」は親しみを表す接尾語で、複数を表すものではない。
結句「ただ独りのみ」は、ただ一人だけである、の意である。「のみ」によって、待つ人がその娘一人であることを強く限定している。
あぢ:鴨の一種。トモエガモとされる
ありそ:岩の多い荒々しい海岸
こら:娘、恋人を親しんで呼ぶ語
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
我妹子に逢はず久しもうましもの 安倍橘の苔生すまでに
- 次の歌
-
我妹子を聞き都賀野辺のしなひ合歓木 我れは忍びず間なくし思へば