あしひきの山沢ゑぐを摘みに行かむ
日だにも逢はせ母は責むとも
- 歌の意味
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山の沢のゑぐを摘みに出かける、その日だけでも逢ってください。たとえ母が責めようとも。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2760
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
山の沢へゑぐを摘みに出かける日だけでも逢ってほしい、母に責められてもかまわないと、恋人に訴えた女性の恋の歌である。娘の恋を見張る母の目を逃れ、外へ出られる機会に逢おうとする、ひたむきな思いを表している。
ゑぐという物に寄せた寄物陳思の歌で、前歌に続いて女性の立場から草を摘むことを詠んでいる。前歌が庭で草を育てて長く待とうとしたのに対し、本歌は野に出る日を逢う機会にしようとしており、待つ歌と逢いに出る歌とが並んでいる。母が娘の恋を妨げるという設定は、万葉集の恋の歌にしばしば見られるものである。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「あしひきの」は、「山」にかかる枕詞である。
二句「山沢ゑぐを」は、山の沢に生えるゑぐを、の意である。ゑぐは水辺に生える草で、食用に摘まれた。
三句「摘みに行かむ」は、摘みに行こうとする、の意である。「む」は推量、意志の助動詞の連体形で、四句の「日」にかかっている。
四句「日だにも逢はせ」は、その日だけでも逢ってください、の意である。「だに」はせめてこれだけでもという最小限の願いを示し、「逢はせ」は尊敬の助動詞「す」の命令形で、相手に強く求めている。ここで句切れとなり、結句と倒置の関係にある。
結句「母は責むとも」は、母が責めようとも、の意である。「とも」は逆接の仮定を表す接続助詞で、母に叱られる覚悟を後から言い添えている。
ゑぐ:クログワイまたはセリの類とされる水辺の草
せむ:責める。とがめる
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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我が宿の穂蓼古幹摘み生し 実になるまでに君をし待たむ
- 次の歌
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奥山の岩本菅の根深くも 思ほゆるかも我が思ひ妻は