- 歌の意味
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海原の沖の縄海苔が波に靡くように、心もしおれるほどに、あの人のことが思われることだ。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2779
詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
沖の縄海苔が波に打ち靡くように、心もしおれるほどにしみじみと恋しい人が思われると詠んだ歌である。海草の靡く姿に、恋に心を委ねてしまった身のありさまを重ねている。
前歌の玉藻に続いて海草に寄せる歌で、次歌の第二千七百八十首とともに「靡く」藻を詠む歌が並んでいる。「心もしのに」は巻第三の第二百六十六首、柿本人麻呂の「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ」にも見える句で、心が打ちしおれるほどの深い思いを表す言葉である。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「海原の」は、広々とした海のの意である。広い海の情景を示し、沖へと視線を導いている。
二句「沖つ縄海苔」は、沖の縄海苔の意である。「つ」は上代の連体格助詞で、縄海苔は縄のように細長い海草をいう。
三句「うち靡き」は、波に揺られて靡いての意である。初句からここまでが序詞で、海草が靡く姿から次の心のしおれるさまを導いている。「うち」は接頭語である。
四句「心もしのに」は、心もしおれるほどにの意である。「しのに」は、しおれて打ちひしがれるさまを表す語である。
結句「思ほゆるかも」は、思われることだなあの意である。「思ほゆ」は自然に思われる意、「かも」は詠嘆の終助詞で、抑えきれない恋しさを込めて結んでいる。
なはのり:縄のように細長い海草
うなはら:広々とした海
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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水底に生ふる玉藻の生ひ出でず よしこのころはかくて通はむ
- 次の歌
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紫の名高の浦の靡き藻の 心は妹に寄りにしものを