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さ寝がには誰れとも寝めど沖つ藻の
靡きし君が言待つ我れを

歌の意味
共寝をするというだけなら誰とでも寝もしようが、沖の藻のように靡き寄ったあなたの言葉を待っている私なのに。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2782

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 共寝をするだけなら相手は誰でもよいかもしれないが、心を寄せ合ったあなたの言葉をこそ待っているのだと、ひたむきな思いを訴えた女の歌である。わざと投げやりな言い方を前に置くことで、ただ一人の相手を待つ心の強さをかえって際立たせている。
 「物に寄せて思ひを陳ぶ」の部立のうち、藻に寄せる一連の歌で、本巻の第二千七百七十八首から藻を詠む歌が続いている。前歌は「海の底奥を深めて生ふる藻の」と藻を恋の深さに重ねたが、本歌は「沖つ藻の靡きし」と、波に靡く藻の姿を相手と心を寄せ合ったことの喩えとしている。第二千七百八十首の「靡き藻の心は妹に寄りにしものを」とも、靡く藻に心の寄ることを重ねる点で通い合う。
 作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。

 初句「さ寝がには」は、共寝をすることについてはの意と解されるが、語の成り立ちには諸説があり難解な句とされる。「さ」は接頭語で、係助詞「は」によって共寝のことを取り立てている。
 二句「誰れとも寝めど」は、誰とでも寝ようがの意である。「め」は推量の助動詞「む」の已然形で、接続助詞「ど」によって逆接で下に続けている。
 三句「沖つ藻の」は、沖の藻のようにの意で、波のまにまに揺れる藻の姿から「靡き」を導いている。「つ」は「の」の意の古い連体助詞である。
 四句「靡きし君が」は、靡き寄ったあなたがの意である。「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、かつて互いに心を寄せ合ったことを示している。
 結句「言待つ我れを」は、言葉を待っている私であるのにの意である。「言」は相手からの言葉、便りをいい、「を」は詠嘆を込めて言い終える助詞である。

さぬ:共寝をする。「さ」は接頭語
なびく:草や藻が風や波に従って揺れ伏す。人に心を寄せる意にも用いる
こと:言葉、便り
出典
万葉集
前の歌
海の底奥を深めて生ふる藻の もとも今こそ恋はすべなき
次の歌
我妹子が何とも我れを思はねば ふふめる花の穂に咲きぬべし