うらぶれて物は思はじ水無瀬川
ありても水は行くといふものを
- 歌の意味
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しょんぼりと沈み込んで物思いはするまい。水無瀬川でも、そのままで水は流れているというのだから。
- 鑑賞
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巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2817
詞書は前の歌に続き「問答」
前歌の慰めの言葉を受けて、もうしおれて思い悩むことはするまい、水の無いように見える水無瀬川にも水は流れているというのだからと答える歌である。表に見えなくとも絶えずに通う相手の心を、川の砂の下を流れる水に託して信じようとしている。
左注の「右二首」によって前歌と一組をなす答えの歌である。前歌の初句「うらぶれて」を同じ初句に受け、前歌の「物な思ひそ」という禁止に「物は思はじ」と応じている。前歌の漂う雲の譬えに対して、本歌は絶えず流れる川の水の譬えで答えている。
作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。
初句「うらぶれて」は、しょんぼりと心がしおれて、の意である。前歌の初句と同じ語で、問いの言葉をそのまま受けている。
二句「物は思はじ」は、物思いはするまい、の意である。「じ」は打消の意志を表す助動詞で、前歌の「物な思ひそ」に応じている。ここで二句切れとなる。
三句「水無瀬川」は、表面に水が無く、川底の砂の下を水が流れている川のことである。目には見えなくても絶えない思いの譬えとして詠まれている。
四句「ありても水は」は、そのままでも水は、の意である。「ありても」は、水が無いように見えるありさまのままでも、という気持ちを表し、係助詞「は」で「水」を取り立てている。
結句「行くといふものを」は、流れていくというのに、の意である。「ものを」は詠嘆を込めて言い収める助詞で、見えなくとも続いている相手の心を信じようとする思いを表している。
うらぶる:心がしおれる、しょんぼりする
みなせがは:表面に水が無く、砂の下を水が流れている川
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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うらぶれて物な思ひそ天雲の たゆたふ心我が思はなくに
- 次の歌
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かきつはた佐紀沼の菅を笠に縫ひ 着む日を待つに年ぞ経にける