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葦鴨のすだく池水溢るとも
まけ溝の辺に我れ越えめやも

歌の意味
葦鴨の群れ集まる池の水があふれようとも、あふれた水のために設けた溝のほうへ、私が越えて行くことがあろうか、いや、ありはしない。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2833

詞書は前の歌に続き「譬喩」
 葦鴨の群れる池の水があふれることがあっても、そのために設けた溝のほうへ自分が越えて流れ出すことはないと詠んだ歌である。池の水を自分の恋心に、あふれ水を流す溝を他の相手にたとえ、どれほど思いがあふれても心を他へ移すことはないという誓いを表している。
 左注「右一首寄水喩思」によって、水に寄せて思いをたとえた歌とされる。前歌の川の魚に続いて、池の水という水辺の題材を用いている。
 作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。

 初句「葦鴨の」は、葦の生える水辺にいる鴨のの意である。池のにぎやかな情景を描く句である。
 二句「すだく池水」は、群れ集まる池の水の意である。「すだく」は鳥などが群がる意で、水をたたえた池のさまを示している句である。
 三句「溢るとも」は、あふれようともの意である。「とも」は逆接の仮定を表し、恋心が満ちあふれるほどであることを思わせる句である。
 四句「まけ溝の辺に」は、あふれた水を流すために設けた溝のほうにの意である。「まけ」は前もって用意する意の「まく」によるとされ、他の相手のもとへ心を流す逃げ道をたとえている句である。
 結句「我れ越えめやも」は、私が越えて行くことがあろうか、いやないの意である。「め」は推量の助動詞「む」の已然形、「やも」は反語を表し、心を移すことはないと強く打ち消している。

あしがも:葦の生えた水辺にいる鴨
すだく:群れ集まる
はふる:あふれる
まけみぞ:あふれた水を流すためにあらかじめ設けておいた溝
出典
万葉集
前の歌
山川に筌を伏せて守りもあへず 年の八年を我がぬすまひし
次の歌
大和の室生の毛桃本繁く 言ひてしものをならずはやまじ