山辺の五十師の御井はおのづから
成れる錦を張れる山かも
- 歌の意味
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山辺の五十師の御井のあたりは、自然にできあがった錦を張りめぐらしたような山であることよ。
- 鑑賞
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巻第十三 雑歌 3235
詞書「反歌」
長歌(第三千二百三十四首)の反歌である。伊勢の国の山辺の五十師の御井のあたりを、自然の紅葉が錦を張ったように彩る山としてたたえる。長歌は伊勢の国を山、川、海、島と国見の形式でほめ、大宮人が天地や日月とともに万代まで栄えることを願う歌で、反歌はその焦点を御井の周りの秋の山に絞っている。行幸に従った人の土地讃美の歌とみられる。
作者は未詳である。巻第十三は作者名を記さない長歌とその反歌を中心に編まれた巻で、古い歌謡や儀礼の歌の面影を伝える歌が多い。
初句「山辺の」は地名で、伊勢国の山辺を指し、所在は現在の三重県鈴鹿市とも津市ともいわれる。
二句「五十師の御井は」の「御井」は、井泉を尊んでいう語で、行幸の際の宮の井戸とされる。
三句「おのづから」は、人の手によらず自然にの意で、四句の「成れる」にかかる。
四句「成れる錦を」は、自然にできあがった錦の意で、紅葉に彩られた山肌を錦にたとえる見立てである。
結句「張れる山かも」は、錦を張りめぐらしたような山だなあの意で、終助詞「かも」が感動を表す。
みゐ:井泉を尊んでいう語、神聖な泉や井戸
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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月は日は変らひぬとも久に経る 三諸の山の離宮ところ
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逢坂をうち出でて見れば近江の海 白木綿花に波立ちわたる