父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の
夏野の草をなづみ来るかも
- 歌の意味
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父母にも知らせていない娘のために、三宅道の夏の野の草をかき分け、難儀しながらやって来たことだ。
- 鑑賞
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巻第十三 相聞 3296
詞書「反歌」
長歌(第三千二百九十五首)の反歌である。父母に知らせない秘めた恋の相手のもとへ、三宅道の夏草に足をとられながら通って来たと詠む。長歌は、三宅の原を夏草に腰までつかって通う息子に、親がどんな娘のために通うのかと問い、息子が、黒髪に木綿を結い垂れ黄楊の櫛を挿した美しい娘こそ自分の妻だと答える問答の形をとる。反歌は息子の側から通い路の苦労を語って結ぶ。
作者は未詳である。巻第十三は作者名を記さない長歌とその反歌を中心に編まれた巻で、古い歌謡や儀礼の歌の面影を伝える歌が多い。
初句「父母に」は、父と母にの意で、長歌で問いかけた親を受ける。
二句「知らせぬ子ゆゑ」は、知らせていない娘のためにの意で、「ゆゑ」は理由を表し、秘めた恋であることを示す。
三句「三宅道の」は、三宅の原へ通う道で、現在の奈良県磯城郡三宅町や田原本町のあたりとされる。
四句「夏野の草を」は、夏の野に茂る草をの意で、長歌の「夏草を腰になづみ」を受ける。
結句「なづみ来るかも」の「来る」は「ける」と読み、来てしまったの意である。「なづむ」は行き悩むの意で、詠嘆の「かも」とともに、苦労して通う身を顧みて結ぶ。
なづむ:行き悩む、難儀しながら進む
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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み雪降る吉野の岳に居る雲の 外に見し子に恋ひわたるかも
- 次の歌
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よしゑやし死なむよ我妹生けりとも かくのみこそ我が恋ひわたりなめ