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信濃なる須我の荒野に霍公鳥
鳴く声聞けば時過ぎにけり

歌の意味
信濃にある須我の荒野でほととぎすの鳴く声を聞くと、もう時が過ぎてしまったのだった。
鑑賞
巻第十四 東歌 3352

詞書は前の歌に続き「東歌」
 須我の荒野でほととぎすの声を聞き、季節の移り変わりとともに、待っていた時が過ぎ去ったことを悟る歌である。「時」を農作業の時節とする説と、旅に出た人が帰るはずの時とする説があり、後者なら帰らぬ人を待つ女性の嘆きとなる。
 左注に「右一首信濃国歌」とある。須我は現在の長野県上田市真田町の菅平のあたりとする説がある。巻頭の雑歌五首はここで終わり、次歌から相聞となる。
 作者は未詳である。東歌は東国の人々の間でうたわれた歌とされ、方言をまじえた素朴でおおらかな表現が特色である。

 初句「信濃なる」の「なる」は「にある」がつづまった形で、所在を示す。「信濃」はここでは「しなぬ」と訓まれる。
 二句「須我の荒野に」は須我の荒れた野で、人の手の入らない広い原野をいう。「に」は鳴き声の聞こえる場所を示す。
 三句「霍公鳥」は夏の訪れを告げる鳥で、万葉集では季節の推移や懐旧の情と結びつけてうたわれることが多い。
 四句「鳴く声聞けば」の「ば」は確定条件で、声を聞いたことが気づきのきっかけとなる。
 結句「時過ぎにけり」の「にけり」は完了と詠嘆で、時がすでに過ぎていたと今さらながら気づく嘆きを表す。巻頭の第三千三百四十八首の「さ夜更けにけり」と同じく「にけり」で結び、時の経過への気づきを詠む点で呼応する。

あらの:人の手の入らない荒れた野
出典
万葉集
前の歌
筑波嶺に雪かも降らるいなをかも 愛しき子ろが布乾さるかも
次の歌
あらたまの伎倍の林に汝を立てて 行きかつましじ寐を先立たね