霞居る富士の山びに我が来なば
いづち向きてか妹が嘆かむ
- 歌の意味
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霞のかかっている富士の山のあたりに私が来てしまったら、どちらを向いて妻は嘆くのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十四 東歌 3357
詞書は前の歌に続き「相聞」
霞のかかる富士の山辺まで旅に来てしまったら、残された妻はどの方角を向いて嘆くのだろうかと思いやる歌である。自分の居場所が霞に隠れてわからなくなることを案じ、相手の心に寄り添っている。
左注により駿河国の歌とされる。本巻の第三千四百七十四首にも「いづし向きてか妹が嘆かむ」とほぼ同じ下の句があり、別れの際の決まった言い回しであったと考えられる。
作者は未詳である。東歌は東国の人々の間でうたわれた歌とされ、方言をまじえた素朴でおおらかな表現が特色である。
初句「霞居る」の「居る」は霞がとどまっているさまをいう。春の霞が視界をさえぎるさまが、後の句の不安を導く。
二句「富士の山びに」の「山び」は山のあたり、山辺である。前歌の「富士の嶺」に続き、富士の山辺へと場所が移る。
三句「我が来なば」の「なば」は仮定条件で、私が来てしまったならと旅の先を思いやる。
四句「いづち向きてか」の「いづち」はどちらの方角、「か」は疑問の係助詞である。係り結びで結句の「む」と呼応する。
結句「妹が嘆かむ」の「む」は推量で、係助詞「か」の結びとなる。妻の嘆く姿を思いやって結ぶ。
やまび:山のあたり
いづち:どちらの方向
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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富士の嶺のいや遠長き山道をも 妹がりとへばけによばず来ぬ
- 次の歌
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さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは 富士の高嶺の鳴沢のごと