我が背子を大和へ遣りて待つしだす
足柄山の杉の木の間か
- 歌の意味
-
いとしい人を大和へ旅立たせて、待っている時が、まるで足柄山の杉の木の間に立っているようだ。
- 鑑賞
-
巻第十四 東歌 3363
詞書は前の歌に続き「相聞」
夫を大和へ送り出し、その帰りを待つ時を足柄山の杉木立の間にたたずむ心地にたとえた女性の歌である。暗い杉林に立つ心細さが、帰らぬ人を待つ不安と重なっている。
相模国歌の一首である。都へ上る夫を見送る東国の妻の立場が示され、東国と大和との遠い隔たりが意識されている。
作者は未詳である。東歌は東国の人々の間でうたわれた歌とされ、方言をまじえた素朴でおおらかな表現が特色である。
初句「我が背子を」の「背子」は女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語である。
二句「大和へ遣りて」の「遣りて」は送り出しての意で、夫は都の大和へ上っている。
三句「待つしだす」の「しだ」は時の意の東国方言とされ、「す」は難解だが「待つ時は」の意と解される。
四句「足柄山の」は相模国の足柄山で、東国と西国を分ける境の山である。
結句「杉の木の間か」の「杉」に「過ぎ」を掛け、待つ時が過ぎてゆく意をこめるとする説がある。「か」は詠嘆である。
しだ:時の意の東国方言
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
相模嶺の小峰見そくし忘れ来る 妹が名呼びて我を音し泣くな
- 次の歌
-
足柄の箱根の山に粟蒔きて 実とはなれるを粟無くもあやし