東路の手児の呼坂越えて去なば
我れは恋ひむな後は逢ひぬとも
- 歌の意味
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東国の道の手児の呼坂を越えて行ってしまったら、私は恋しく思うことだろう。後には逢えるとしても。
- 鑑賞
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巻第十四 東歌 3477
詞書は前の歌に続き「相聞」
手児の呼坂を越えて恋人が行ってしまえば、のちに再び逢えるとしても、自分は恋しく思うだろうとうたう歌である。たとえ再会が約束されていても、別れの間の恋しさは避けられないという切ない情が表されている。
相聞の一首である。雑歌の第三千四百四十二首と同じ「東路の手児の呼坂」の上の句をもち、同じ坂を舞台にした歌である。
作者は未詳である。東歌は東国の人々の間でうたわれた歌とされ、方言をまじえた素朴でおおらかな表現が特色である。
初句「東路の」は東国へ通じる道で、第三千四百四十二首と同じ初句である。
二句「手児の呼坂」は第三千四百四十二首と同じ坂の名で、娘が呼んだという伝説をもつとされる。
三句「越えて去なば」は越えて行ってしまったならばの意で、字余りの句である。
四句「我れは恋ひむな」の「な」は詠嘆で、恋しく思うだろうよの意である。四句切れである。
結句「後は逢ひぬとも」は後には逢えるとしてもの意で、倒置によって条件を最後に示して結ぶ。
あづまぢ:東国へ通じる道
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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うべ子なは我ぬに恋ふなも立と月の ぬがなへ行けば恋しかるなも
- 次の歌
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遠しとふ故奈の白嶺に逢ほしだも 逢はのへしだも汝にこそ寄され