橘の古婆の放髪が思ふなむ
心うつくしいで我れは行かな
- 歌の意味
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橘の古婆の髪を結い上げていない少女が私を思っているだろう、その心がいとおしい。さあ、私は行こう。
- 鑑賞
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巻第十四 東歌 3496
詞書は前の歌に続き「相聞」
橘の古婆に住む、まだ髪を結い上げていない少女が自分を思ってくれているだろう、その心がいとおしいので、さあ逢いに行こうとうたう歌である。少女の純な心へのいとおしさが、行動への決意となっている。
相聞の一首である。橘は武蔵国橘樹郡で、現在の神奈川県川崎市付近とされ、古婆はその地名とされる。
作者は未詳である。東歌は東国の人々の間でうたわれた歌とされ、方言をまじえた素朴でおおらかな表現が特色である。
初句「橘の」は武蔵国橘樹郡で、現在の川崎市付近とされる。
二句「古婆の放髪が」の「放髪」は髪を結い上げずに垂らした少女の髪型で、まだ若い少女をいう。
三句「思ふなむ」の「なむ」は「らむ」にあたる東国方言で、思っているだろうの意である。
四句「心うつくし」の「うつくし」はいとおしい、かわいいの意で、四句切れである。
結句「いで我れは行かな」の「いで」はさあ、「行かな」は行こうの意で、字余りの句である。
はなり:髪を結い上げずに垂らした少女
うつくし:いとおしい、かわいい
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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巌ろの沿ひの若松限りとや 君が来まさぬうらもとなくも
- 次の歌
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川上の根白高萱あやにあやに さ寝さ寝てこそ言に出にしか