さざれ石に駒を馳させて心痛み
我が思ふ妹が家のあたりかも
- 歌の意味
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小石の多い道に馬を走らせて、心が痛むほど私が思う恋人の家は、このあたりであろうか。
- 鑑賞
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巻第十四 東歌 3542
詞書は前の歌に続き「相聞」
小石の多い道に馬を走らせ、馬を気づかって心を痛めながら来たのは、恋しい人の家のあたりだからだろうかとうたう歌である。馬を急がせる後ろめたさと、恋人の家に近づいた胸の高鳴りとが重なっている。
相聞の一首で、第三千五百三十二首から続く馬の歌の最後の一首である。信濃国歌の第三千四百首にも「さざれ石」が詠まれる。
作者は未詳である。東歌は東国の人々の間でうたわれた歌とされ、方言をまじえた素朴でおおらかな表現が特色である。
初句「さざれ石に」は小石で、第三千四百首と同じ語である。字余りの句である。
二句「駒を馳させて」の「馳させ」は走らせることで、小石の道で馬が足を痛めるのを案じる。
三句「心痛み」の「を…み」の形で、心が痛むのでの意である。初句からここまでが序詞的に心の痛みを導く。
四句「我が思ふ妹が」は私が思う恋人の意で、字余りの句である。
結句「家のあたりかも」は家のあたりであろうかの意で、八音の字余りで結ぶ。上野国歌の第三千四百二十三首「妹が家のあたり」と同じ語である。
さざれいし:小石
はす:走らせる
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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あずへから駒の行ごのす危はとも 人妻子ろをまゆかせらふも
- 次の歌
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むろがやの都留の堤の成りぬがに 子ろは言へどもいまだ寝なくに