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夕さればひぐらし来鳴く生駒山
越えてぞ我が来る妹が目を欲り

歌の意味
夕方になるとひぐらしがやって来て鳴く生駒山を、越えて私はやって来たのだ。妻に逢いたくて。
鑑賞
巻第十五 遣新羅使人歌 3589

詞書は前の歌に続き「新羅に遣はさるる使人等、別れを悲しびて贈答し、また海路にして情を慟みて思ひを陳べ、并せて所に当りて誦する古歌」
 出航を待つ難波から、夕暮れの生駒山を越えて奈良の妻のもとへ通ってきたことを詠んだ歌である。ひぐらしの声が響く山越えの道の寂しさと、それでも妻に逢いたい一心とが、倒置によって結句に集められている。次歌第三千五百九十首も同じ「越えてぞ我が来る」を用いており、出発前の慌ただしい日々に妻のもとへ帰る心が二首並べられている。
 作者の秦間満は遣新羅使の一行に加わった人物であるが、官職などの伝は詳らかでない。

 初句「夕されば」 「さる」は時が移って来る意で、夕方になるといつもの意を表す。
 二句「ひぐらし来鳴く」 ひぐらしは夕暮れにカナカナと鳴く蝉で、その声が山越えの寂しさを際立たせる。
 三句「生駒山」 大和と河内の境にそびえる山で、難波と奈良を結ぶ道が越えていく。ここまでが越える山の描写である。
 四句「越えてぞ我が来る」 「ぞ」は係助詞で、結びは連体形「来る」となる係り結びである。次歌第三千五百九十首の結句にも同じ句が置かれている。
 結句「妹が目を欲り」 「目」は相手の姿、逢うこと、「欲る」は望む意で、妻に逢いたくての意。四句と倒置になっており、越えて来た理由を最後に明かしている。

ひぐらし:夕暮れにカナカナと鳴く蝉
ほる:欲しいと思う、望む
作者
秦間満
出典
万葉集
前の歌
はろはろに思ほゆるかもしかれども 異しき心を我が思はなくに
次の歌
妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む 生駒の山を越えてぞ我が来る