白栲の藤江の浦に漁りする
海人とや見らむ旅行く我れを
- 歌の意味
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藤江の浦で漁をしている海人だと、人は見るだろうか、旅をしている私のことを。
- 鑑賞
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巻第十五 遣新羅使人歌 3607
詞書は前の歌に続き「所に当りて誦詠する古歌」
藤江の浦の海辺を行く旅姿の自分を、土地の人は漁をする海人と見るだろうかと詠んだ歌である。都の官人である自分が、潮風に吹かれて海人と見分けがつかないほどにやつれた旅の身の上を自嘲気味にとらえている。左注によれば、人麻呂の歌では初句が「荒栲の」、四句が「鱸釣る海人とか見らむ」で、巻第三の第二百五十二首にあたる。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇と文武天皇の時代に宮廷歌人として活躍した万葉集を代表する歌人で、旅の歌や挽歌にすぐれた作を多く残した。本歌は人麻呂の歌が一行によって歌い替えられたかたちで伝わったものである。
詞書によれば、本巻の第三千六百二首から第三千六百十首までは、一行が旅の途中でその場にふさわしいとして口ずさんだ古歌である。自作ではない歌も旅の歌群に取りこまれており、当時の人々が古歌をどのように共有し、場に応じて歌い替えていたかを示している。
初句「白栲の」 白い栲の布の意で、藤の繊維から布を織ることから「藤江」にかかる枕詞である。人麻呂の歌では「荒栲の」となっている。
二句「藤江の浦に」 播磨国の藤江の浦で、現在の兵庫県明石市藤江付近である。
三句「漁りする」 「漁る」は魚や貝をとる意で、漁をしているの意である。
四句「海人とや見らむ」 「や」は疑問の係助詞で、結びは連体形「らむ」となる。人は海人と見るだろうかの意。人麻呂の歌では「鱸釣る海人とか見らむ」である。
結句「旅行く我れを」 四句と倒置になっており、旅をする自分をと最後に明かしている。
しろたへ:白い栲の布、ここでは「藤江」にかかる枕詞
いざる:魚や貝をとる、漁をする
あま:海で漁をする人
- 作者
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柿本人麻呂(異伝)
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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玉藻刈る処女を過ぎて夏草の 野島が崎に廬りす我れは
- 次の歌
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天離る鄙の長道を恋ひ来れば 明石の門より家のあたり見ゆ