我が命を長門の島の小松原
幾代を経てか神さびわたる
- 歌の意味
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長門の島の小松原は、どれほどの年月を経て、このように神々しく古びてきたのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十五 遣新羅使人歌 3621
詞書は前の歌に続き「安芸国の長門の島にして磯辺に船泊まりして作る歌五首」
長門の島の小松原が、どれほどの年月を経て神々しく古びてきたのだろうかと、土地をたたえた歌である。初句「我が命を」は、命が長くあれと願う意から「長門」の「長」を導いており、松の長寿と自らの命の長さへの願いとが重ねられている。長門の島で詠まれた五首の最後に置かれ、望郷の嘆きの続いた一連を土地ぼめの歌で締めくくっている。
詞書によれば、安芸国の長門の島の磯辺に船を泊めて作った五首の一つである。長門の島は現在の広島県呉市の倉橋島とされる。五首のうち左注に作者が記されるのは最初の一首のみで、本歌の作者の名は記されていない。
初句「我が命を」 わが命を長くと願う意から、「長門」の「長」を導く序となっている。六音の字余りである。
二句「長門の島の」 安芸国の長門の島で、現在の倉橋島とされる。
三句「小松原」 小さい松の生えた原のことで、常緑の松は長寿のしるしとされた。
四句「幾代を経てか」 「か」は疑問の係助詞で、結びは連体形「わたる」となる。どれほどの年月を経てかの意である。
結句「神さびわたる」 「神さぶ」は神々しく古びる意、「わたる」は一面にそうである意で、四句の「か」を受けて連体形で結んでいる。
こまつばら:小さい松の生えた原
かむさぶ:神々しく古びる
- 出典
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万葉集
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恋繁み慰めかねてひぐらしの 鳴く島蔭に廬りするかも
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月読みの光りを清み夕なぎに 水手の声呼び浦廻漕ぐかも