我妹子は早も来ぬかと待つらむを
沖にや住まむ家つかずして
- 歌の意味
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いとしい妻は、早く帰って来ないかと待っているだろうに、私は沖にとどまって暮らすことになるのだろうか、家にたどり着くこともできないで。
- 鑑賞
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巻第十五 遣新羅使人歌 3645
詞書は前の歌に続き「佐婆の海中にして、たちまちに逆風に遭ひ、漲ふ浪に漂流す。経宿して後に、幸ひに順風を得て、豊前国下毛郡の分間の浦に到着す。ここに艱難を追ひて怛み、悽惆して作る八首」
妻は早く帰らないかと待っているだろうに、自分は家にたどり着くこともなく沖に住むことになるのかと嘆いた歌である。逆風に流されて海上をさまよう不安が、「沖に住む」という言い方で表されている。待つ妻の姿と海上にとどまる自分の姿とが、遠く隔たった二つの場として対比されている。
詞書によれば、周防国の佐婆の海で突然逆風に遭って漂流し、一夜を経て順風を得て豊前国下毛郡の分間の浦にたどり着いた一行が、その苦難を思い返して作った八首の一つである。佐婆の海は現在の山口県防府市の沖、分間の浦は大分県中津市付近とされる。八首のうち作者が記されるのは最初の一首のみで、本歌の作者の名は記されていない。
初句「我妹子は」 いとしい妻はの意である。
二句「早も来ぬかと」 「ぬか」は打消の「ず」の連体形に疑問の「か」がついた形で、早く帰って来ないかなあと願う妻のことばを思いやっている。
三句「待つらむを」 「らむ」は目の前にない現在の事柄の推量、「を」は逆接で、待っているだろうにの意である。
四句「沖にや住まむ」 「や」は疑問の係助詞で、結びは連体形「む」となる。沖にとどまって暮らすのだろうかの意である。
結句「家つかずして」 「つく」はたどり着く意で、家に着くこともできずにの意。四句と倒置になっている。
わぎもこ:わが妹子の約、いとしい妻
つく:たどり着く
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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大君の命畏み大船の 行きのまにまに宿りするかも
- 次の歌
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浦廻より漕ぎ来し船を風早み 沖つみ浦に宿りするかも