ひさかたの天照る月は見つれども
我が思ふ妹に逢はぬころかも
- 歌の意味
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空に照り輝く月は見たけれども、私が思う妻には逢えないこのごろであることよ。
- 鑑賞
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巻第十五 遣新羅使人歌 3650
詞書は前の歌に続き「佐婆の海中にして、たちまちに逆風に遭ひ、漲ふ浪に漂流す。経宿して後に、幸ひに順風を得て、豊前国下毛郡の分間の浦に到着す。ここに艱難を追ひて怛み、悽惆して作る八首」
空に照る月は見ることができても、思う妻には逢えないこのごろだと嘆いた歌である。月は都で見る月と同じであり、同じ月を仰ぎながら妻には逢えないという隔たりの意識が表されている。見られるものと逢えない人とを対比することで、恋しさを際立たせている。
詞書によれば、周防国の佐婆の海で突然逆風に遭って漂流し、一夜を経て順風を得て豊前国下毛郡の分間の浦にたどり着いた一行が、その苦難を思い返して作った八首の一つである。佐婆の海は現在の山口県防府市の沖、分間の浦は大分県中津市付近とされる。八首のうち作者が記されるのは最初の一首のみで、本歌の作者の名は記されていない。
初句「ひさかたの」 「天」「月」などにかかる枕詞である。
二句「天照る月は」 空に照り輝く月はの意である。
三句「見つれども」 「つれ」は完了の助動詞「つ」の已然形で、逆接の「ども」により、見たけれどもと下へ転じる。
四句「我が思ふ妹に」 私が恋しく思う妻にの意である。
結句「逢はぬころかも」 「ころ」はこのごろ、「かも」は詠嘆で、逢えないこのごろであることよと結ぶ。
ひさかたの:「天」「月」などにかかる枕詞
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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鴨じもの浮寝をすれば蜷の腸 か黒き髪に露ぞ置きにける
- 次の歌
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志賀の海人の一日もおちず焼く塩の からき恋をも我れはするかも