秋去れば置く露霜にあへずして
都の山は色づきぬらむ
- 歌の意味
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秋になると降りる冷たい露に堪えきれずに、都の山はもう色づいたことだろう。
- 鑑賞
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巻第十五 遣新羅使人歌 3699
詞書は前の歌に続き「対馬の島の浅茅の浦に到りて船泊まりする時に、順風を得ず、経停すること五箇日なり。ここに物華を瞻望し、おのもおのも慟心を陳べて作る歌三首」
秋の露霜に堪えきれずに、都の山はもう色づいたことだろうと思いやった歌である。対馬の浅茅山の紅葉を目の前にしながら、心は遠い都の山の紅葉へと向かっている。前歌が月を介して遠い妻を思ったのに対し、本歌は紅葉を介して都を思い、浅茅の浦での三首は目の前の景から遠い都へと思いを移していく構成になっている。
詞書によれば、対馬の浅茅の浦に着いて船を泊めた時、順風が得られずに五日間とどまり、その間に景色を眺めて、それぞれが悲しみを述べて作った三首の一つである。浅茅の浦は対馬の中央部に入りこむ浅茅湾とされる。作者の名は記されていない。
初句「秋去れば」 「去る」は季節が移って来る意で、秋になるといつもの意である。
二句「置く露霜に」 「露霜」は露と霜、また冷たい露のことで、木の葉を色づかせるものとされた。
三句「あへずして」 「あふ」は堪える意で、堪えきれずにの意である。
四句「都の山は」 平城京を囲む山々で、遠く離れた故郷の山である。
結句「色づきぬらむ」 「色づく」は紅葉する意、「らむ」は目の前にない現在の事柄の推量で、もう色づいただろうと思いやって結ぶ。
つゆしも:露と霜、また冷たい露
あふ:堪える
いろづく:紅葉する
- 出典
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万葉集
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天離る鄙にも月は照れれども 妹ぞ遠くは別れ来にける
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