竹敷の黄葉を見れば我妹子が
待たむと言ひし時ぞ来にける
- 歌の意味
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竹敷の黄葉を見ると、いとしい妻が待っていようと言った、その時がもう来てしまったのだ。
- 鑑賞
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巻第十五 遣新羅使人歌 3701
詞書は前の歌に続き「竹敷の浦に船泊まりする時に、おのもおのも心緒を陳べて作る歌十八首」
竹敷の黄葉を見て、妻が待っていると言った秋の帰りの時がもう来てしまったと気づいた歌である。紅葉の美しさが、そのまま帰国の約束の時の到来を告げるものとなっており、果たせない約束への嘆きが込められている。上の句の「我妹子が待たむと言ひし」は、同じ一連の本巻の第三千七百十三首にも繰り返されている。左注に「右一首副使」とある。
作者の大伴三中は遣新羅使の副使を務めた官人である。帰途に病にかかり、帰京が遅れたことが知られている。
詞書によれば、竹敷の浦に船を泊めた時に、それぞれが心のうちを述べて作った十八首の一つである。竹敷の浦は対馬の浅茅湾内の浦で、現在の長崎県対馬市美津島町竹敷とされる。一連の前半には大使、副使、大判官、少判官と対馬の娘子の歌が並び、宴の席での作と考えられている。
初句「竹敷の」 対馬の竹敷の浦である。
二句「黄葉を見れば」 黄葉を見るとの意で、已然形に「ば」がついた確定条件である。
三句「我妹子が」 いとしい妻がの意である。
四句「待たむと言ひし」 「む」は意志、「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、待っていようと言ったの意。出発の際の約束を指す。
結句「時ぞ来にける」 「ぞ」は係助詞で、結びは連体形「ける」となる係り結びである。その時が来てしまったことだと結ぶ。
たかしき:対馬の浅茅湾内の浦
もみち:秋に色づいた木の葉
- 作者
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大伴三中
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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あしひきの山下光る黄葉の 散りの乱ひは今日にもあるかも
- 次の歌
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竹敷の浦廻の黄葉我れ行きて 帰り来るまで散りこすなゆめ