玉敷ける清き渚を潮満てば
飽かず我れ行く帰るさに見む
- 歌の意味
-
玉を敷きつめたような清らかな渚を、潮が満ちてくるので、名残惜しいまま私は去っていく。帰りにまた見よう。
- 鑑賞
-
巻第十五 遣新羅使人歌 3706
詞書は前の歌に続き「竹敷の浦に船泊まりする時に、おのもおのも心緒を陳べて作る歌十八首」
玉を敷いたような清らかな渚を、潮が満ちてきたので名残惜しく去っていく、帰りにまた見ようと詠んだ歌である。竹敷の浦の美しさを玉にたとえてたたえつつ、帰途にもう一度訪れることを約している。帰りに見ようという願いは、大使自身がこの帰途に対馬で没したことを思うと痛ましく響く。左注に「右一首大使」とある。
作者の阿倍継麻呂は遣新羅使の大使で、天平八年に任じられた。新羅からの帰途、翌天平九年に対馬で没した。
詞書によれば、竹敷の浦に船を泊めた時に、それぞれが心のうちを述べて作った十八首の一つである。竹敷の浦は対馬の浅茅湾内の浦で、現在の長崎県対馬市美津島町竹敷とされる。一連の前半には大使、副使、大判官、少判官と対馬の娘子の歌が並び、宴の席での作と考えられている。
初句「玉敷ける」 「る」は存続の助動詞「り」の連体形で、玉を敷きつめたようなの意。美しい小石の並ぶ渚をたたえている。
二句「清き渚を」 清らかな波打ち際をの意である。
三句「潮満てば」 潮が満ちてくるのでの意で、已然形に「ば」がついた確定条件である。
四句「飽かず我れ行く」 「飽かず」は満ち足りないで、名残惜しいままの意で、私は去っていくの意。ここで切れる四句切れである。
結句「帰るさに見む」 「帰るさ」は帰るとき、「む」は意志で、帰りに見ようと結ぶ。
なぎさ:波打ち際
かへるさ:帰るとき、帰りがけ
- 作者
-
阿倍継麻呂
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
竹敷の玉藻靡かし漕ぎ出なむ 君がみ船をいつとか待たむ
- 次の歌
-
秋山の黄葉をかざし我が居れば 浦潮満ち来いまだ飽かなくに