秋山の黄葉をかざし我が居れば
浦潮満ち来いまだ飽かなくに
- 歌の意味
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秋の山の黄葉を髪に挿して楽しんでいると、浦に潮が満ちてきた。まだ十分に楽しんでもいないのに。
- 鑑賞
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巻第十五 遣新羅使人歌 3707
詞書は前の歌に続き「竹敷の浦に船泊まりする時に、おのもおのも心緒を陳べて作る歌十八首」
秋の山の黄葉を髪に挿して宴を楽しんでいると、浦に潮が満ちてきた、まだ十分楽しんでもいないのにと詠んだ歌である。黄葉をかざす風流な宴の楽しさと、潮が満ちて船出を促される名残惜しさとが表されている。前歌の大使の「潮満てば飽かず我れ行く」を受け、同じ満ち潮と名残惜しさを副使の立場で歌っている。左注に「右一首副使」とある。
作者の大伴三中は遣新羅使の副使を務めた官人である。帰途に病にかかり、帰京が遅れたことが知られている。
詞書によれば、竹敷の浦に船を泊めた時に、それぞれが心のうちを述べて作った十八首の一つである。竹敷の浦は対馬の浅茅湾内の浦で、現在の長崎県対馬市美津島町竹敷とされる。一連の前半には大使、副使、大判官、少判官と対馬の娘子の歌が並び、宴の席での作と考えられている。
初句「秋山の」 秋の山のの意である。
二句「黄葉をかざし」 「かざす」は草木の花や枝を髪に挿すことで、宴の風流な装いである。
三句「我が居れば」 私がそうしていると、の意である。
四句「浦潮満ち来」 浦に潮が満ちてきたの意で、ここで切れる四句切れである。前歌第三千七百六首の「潮満てば」を受けている。
結句「いまだ飽かなくに」 「なく」は打消の「ず」のク語法、「に」は詠嘆で、まだ満ち足りていないのにと結ぶ。
かざす:草木の花や枝を髪に挿す
- 作者
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大伴三中
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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玉敷ける清き渚を潮満てば 飽かず我れ行く帰るさに見む
- 次の歌
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物思ふと人には見えじ下紐の 下ゆ恋ふるに月ぞ経にける