我が袖は手本通りて濡れぬとも
恋忘れ貝取らずは行かじ
- 歌の意味
-
私の袖は、袂まで水がしみ通って濡れてしまおうとも、恋の苦しさを忘れさせるという恋忘れ貝を、取らずには行くまい。
- 鑑賞
-
巻第十五 遣新羅使人歌 3711
詞書は前の歌に続き「竹敷の浦に船泊まりする時に、おのもおのも心緒を陳べて作る歌十八首」
袖が袂までずぶ濡れになっても、恋の苦しさを忘れさせるという恋忘れ貝を取らずには帰らないと詠んだ歌である。妻への恋しさの苦しさから逃れたいという切実な思いが、貝を求める強い意志として表されている。忘れ貝を求める趣向は、玉の浦の反歌である本巻の第三千六百二十九首にも見られ、旅の長さとともに恋の苦しさが深まっていることがうかがえる。
詞書によれば、竹敷の浦に船を泊めた時に、それぞれが心のうちを述べて作った十八首の一つである。竹敷の浦は対馬の浅茅湾内の浦で、現在の長崎県対馬市美津島町竹敷とされる。一連の後半の九首には左注がなく、本歌の作者の名は記されていない。
初句「我が袖は」 私の袖はの意である。
二句「手本通りて」 「手本」は「たもと」と読み、袖口、手首のあたりのこと。袂まで水がしみ通っての意である。
三句「濡れぬとも」 「とも」は逆接の仮定で、濡れてしまおうともの意である。
四句「恋忘れ貝」 拾えば恋の苦しさを忘れさせるとされた貝で、本巻の第三千六百二十九首の「忘れ貝」と同じものである。
結句「取らずは行かじ」 「ずは」は打消の仮定、「じ」は打消の意志で、取らないでは行くまいと強い決意を示して結ぶ。
たもと:袖口、手首のあたり
こひわすれがひ:拾えば恋の苦しさを忘れさせるとされた貝
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
潮干なばまたも我れ来むいざ行かむ 沖つ潮騒高く立ち来ぬ
- 次の歌
-
ぬばたまの妹が干すべくあらなくに 我が衣手を濡れていかにせむ