ぬばたまの妹が干すべくあらなくに
我が衣手を濡れていかにせむ
- 歌の意味
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黒髪の妻が干してくれるわけでもないのに、私の袖をこんなに濡らしてしまって、どうしたらよいのだろう。
- 鑑賞
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巻第十五 遣新羅使人歌 3712
詞書は前の歌に続き「竹敷の浦に船泊まりする時に、おのもおのも心緒を陳べて作る歌十八首」
濡れた袖を干してくれる妻もいないのに、袖をこんなに濡らしてどうしたらよいのかと嘆いた歌である。前歌まで貝を拾って袖を濡らしてきたことを受け、濡れた衣を世話してくれる妻の不在に思い至っている。日常の世話をしてくれる妻の存在が、旅先で失われたことの寂しさが表されている。
詞書によれば、竹敷の浦に船を泊めた時に、それぞれが心のうちを述べて作った十八首の一つである。竹敷の浦は対馬の浅茅湾内の浦で、現在の長崎県対馬市美津島町竹敷とされる。一連の後半の九首には左注がなく、本歌の作者の名は記されていない。
初句「ぬばたまの」 ふつうは「夜」「黒」などにかかる枕詞であるが、ここでは黒髪の連想から「妹」にかかる珍しい例である。
二句「妹が干すべく」 「べく」は可能や当然を表す「べし」の連用形で、妻が干してくれるようにの意である。
三句「あらなくに」 「なく」は打消の「ず」のク語法、「に」は逆接で、そうではないのにの意である。
四句「我が衣手を」 「衣手」は袖のことで、前歌までの貝拾いで濡れた袖である。
結句「濡れていかにせむ」 「む」は推量で、濡らしてどうしたらよいだろうかと途方に暮れる心を示して結ぶ。八音の字余りである。
ぬばたま:ヒオウギの黒い実、ここでは黒髪の連想から「妹」にかかる
ころもで:袖
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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我が袖は手本通りて濡れぬとも 恋忘れ貝取らずは行かじ
- 次の歌
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黄葉は今はうつろふ我妹子が 待たむと言ひし時の経ゆけば