古典和歌stream

ぬばたまの夜明かしも船は漕ぎ行かな
御津の浜松待ち恋ひぬらむ

歌の意味
夜通しでも、船を漕いで行こう。御津の浜の松が、待ち焦がれていることだろうから。
鑑賞
巻第十五 遣新羅使人歌 3721

詞書は前の歌に続き「筑紫に廻り来て、海路にて京に入らむとし、播磨国の家島に到る時に作る歌五首」
 夜通しでも船を漕いで行こう、御津の浜の松が待ち焦がれているだろうからと詠んだ歌である。出航した難波の御津の浜松を擬人化し、松の「待つ」に、自分たちの帰りを待つ人々の姿を重ねている。故郷を目前にして一刻も早く帰りたいという心のはやりが、夜を徹して漕ぎ進もうという決意に表れている。
 詞書によれば、新羅からの帰途、筑紫を回って海路で都に入ろうとし、播磨国の家島に着いた時に作った五首の一つである。家島は現在の兵庫県姫路市の家島諸島である。一行は年を越して天平九年に帰京したが、大使阿倍継麻呂は帰途の対馬で没し、副使大伴三中も病のため帰京が遅れた。本歌の作者の名は記されていない。

 初句「ぬばたまの」 ヒオウギの黒い実のことで、その黒さから「夜」にかかる枕詞である。
 二句「夜明かしも船は」 夜を明かしてでも船はの意で、八音の字余りである。
 三句「漕ぎ行かな」 「な」は自己の意志を表す終助詞で、漕いで行こうの意。ここで切れる三句切れである。
 四句「御津の浜松」 難波の御津の浜辺の松で、「松」が結句の「待ち」を響かせている。出航の地であり、本巻の第三千五百九十三首にも詠まれた。
 結句「待ち恋ひぬらむ」 「らむ」は目の前にない現在の事柄の推量で、待ち焦がれているだろうと結ぶ。三句の決意の理由を示している。

みつ:御津、難波の港
はままつ:浜辺の松
出典
万葉集
前の歌
我妹子を行きて早見む淡路島 雲居に見えぬ家つくらしも
次の歌
大伴の御津の泊りに船泊てて 竜田の山をいつか越え行かむ