古典和歌stream

塵泥の数にもあらぬ我れゆゑに
思ひわぶらむ妹がかなしさ

歌の意味
塵や泥のように物の数にも入らないこの私のために、思い嘆いているであろう妻が、いとおしくてならない。
鑑賞
巻第十五 中臣宅守狭野弟上娘子贈答歌 3727

詞書は前の歌に続き「中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子と贈答する歌」
 塵や泥のように取るに足りない自分のために嘆き悲しんでいるであろう妻を、いとおしく思う宅守の歌である。罪を得て配流される身を卑下しつつ、その自分のために苦しむ妻への申し訳なさと愛情とが込められている。娘子の別れの歌を受けて、宅守の側からの最初の歌として置かれている。
 作者の中臣宅守は中臣東人の子で、神祇を司る中臣氏の出である。罪を得て越前国に配流されたが、のちに赦されて都に戻った。
 左注に「右四首中臣朝臣宅守上道作歌」とあり、本巻の第三千七百二十七首から第三千七百三十首までの四首は、配流の地へ向かう道中で宅守が作った歌である。本巻の後半には、中臣宅守と狭野弟上娘子とが交わした贈答歌六十三首が収められている。巻の目録によれば、宅守が蔵部の女嬬であった娘子を娶った時に、勅によって越前国に配流されたという。配流の地は越前国の味真野、現在の福井県越前市付近とされる。

 初句「塵泥の」 「塵泥」は塵と泥のことで、取るに足りないもののたとえとして二句の「数にもあらぬ」を導いている。
 二句「数にもあらぬ」 物の数にも入らないの意で、罪を得た自分を卑下している。
 三句「我れゆゑに」 そのような私のためにの意である。
 四句「思ひわぶらむ」 「思ひわぶ」は思い悩む、嘆く意、「らむ」は目の前にない現在の事柄の推量で、思い嘆いているであろうの意である。
 結句「妹がかなしさ」 「かなし」はいとおしい、切なく心ひかれる意で、体言止めにより妻へのいとおしさを強く表して結ぶ。

ちりひぢ:塵と泥、取るに足りないもののたとえ
おもひわぶ:思い悩む、嘆く
作者
中臣宅守
出典
万葉集
前の歌
このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥 明けてをちよりすべなかるべし
次の歌
あをによし奈良の大道は行きよけど この山道は行き悪しかりけり