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思ふゑに逢ふものならばしましくも
妹が目離れて我れ居らめやも

歌の意味
思うからこそ逢えるというものならば、ほんのしばらくの間でも、妻と離れて私が過ごしていようか、いやそんなことはない。
鑑賞
巻第十五 中臣宅守狭野弟上娘子贈答歌 3731

詞書は前の歌に続き「中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子と贈答する歌」
 思うだけで逢えるものなら、しばらくでも妻と離れていることなどないのにと嘆いた歌である。どれほど思っても逢えない現実を、反語によって強く訴えている。配流の地から娘子に贈られた宅守の十四首の最初で、逢えない嘆きがここから繰り返し歌われていく。
 作者の中臣宅守は中臣東人の子で、神祇を司る中臣氏の出である。罪を得て越前国に配流されたが、のちに赦されて都に戻った。
 左注に「右十四首中臣朝臣宅守」とあり、本巻の第三千七百三十一首から第三千七百四十四首までの十四首は、配流の地にあって宅守が娘子に贈った歌である。本巻の後半には、中臣宅守と狭野弟上娘子とが交わした贈答歌六十三首が収められている。巻の目録によれば、宅守が蔵部の女嬬であった娘子を娶った時に、勅によって越前国に配流されたという。配流の地は越前国の味真野、現在の福井県越前市付近とされる。

 初句「思ふゑに」 「ゑ」は「ゆゑ」と同じで、思うゆえにの意である。
 二句「逢ふものならば」 逢えるものであるならばの意で、仮定条件である。
 三句「しましくも」 しばらくの間もの意である。
 四句「妹が目離れて」 「目離る」は相手の顔を見ないでいる、離れている意である。
 結句「我れ居らめやも」 「め」は推量の「む」の已然形、「やも」は反語で、私が過ごしていようか、いやそんなことはないと強く打ち消して結ぶ。

ゑ:ゆゑ、ため
めかる:相手の顔を見ないでいる、離れている
作者
中臣宅守
出典
万葉集
前の歌
畏みと告らずありしをみ越道の 手向けに立ちて妹が名告りつ
次の歌
あかねさす昼は物思ひぬばたまの 夜はすがらに音のみし泣かゆ