天地の神なきものにあらばこそ
我が思ふ妹に逢はず死にせめ
- 歌の意味
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天地の神がいないものであるならば、私は思う妻に逢わずに死んでしまうだろう。神がおられる以上、必ず逢えるはずだ。
- 鑑賞
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巻第十五 中臣宅守狭野弟上娘子贈答歌 3740
詞書は前の歌に続き「中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子と贈答する歌」
天地の神がいないのなら妻に逢わずに死ぬこともあろうが、神がいる以上必ず逢えるはずだと、神への信頼によって再会を確信しようとした歌である。絶望の中にあって、神の存在を支えに希望をつなごうとする心が表されている。天地の神に祈る趣向は、本巻の前半にある狛島の娘子の第三千六百八十二首にも見える。
作者の中臣宅守は中臣東人の子で、神祇を司る中臣氏の出である。罪を得て越前国に配流されたが、のちに赦されて都に戻った。
左注に「右十四首中臣朝臣宅守」とあり、本巻の第三千七百三十一首から第三千七百四十四首までの十四首は、配流の地にあって宅守が娘子に贈った歌である。本巻の後半には、中臣宅守と狭野弟上娘子とが交わした贈答歌六十三首が収められている。巻の目録によれば、宅守が蔵部の女嬬であった娘子を娶った時に、勅によって越前国に配流されたという。配流の地は越前国の味真野、現在の福井県越前市付近とされる。
初句「天地の」 天の神と地の神の意で、あらゆる神々を指す。
二句「神なきものに」 神がいないものにの意である。
三句「あらばこそ」 「こそ」は係助詞で、結びは已然形「め」となる。神がいないのであるならばこそ、という仮定を強調している。
四句「我が思ふ妹に」 私が思う妻にの意である。
結句「逢はず死にせめ」 「め」は推量の「む」の已然形で、三句の「こそ」を受けて、逢わずに死ぬだろうと結ぶ。裏返して、神がいる以上は必ず逢えるという確信を示している。
あめつち:天と地
- 作者
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中臣宅守
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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かくばかり恋ひむとかねて知らませば 妹をば見ずぞあるべくありける
- 次の歌
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命をし全くしあらばあり衣の ありて後にも逢はざらめやも