天地の底ひのうらに我がごとく
君に恋ふらむ人はさねあらじ
- 歌の意味
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天地の果ての果てまで探しても、私のようにあなたを恋い慕っている人は、決してほかにいないでしょう。
- 鑑賞
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巻第十五 中臣宅守狭野弟上娘子贈答歌 3750
詞書は前の歌に続き「中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子と贈答する歌」
天地の果てまで探しても、私のようにあなたを恋い慕う人はいないだろうと詠んだ歌である。天地の果てという壮大な広がりを持ち出すことで、自分の恋の深さを比類のないものとして示している。宅守が詠んだ本巻の第三千七百四十首が「天地の神」に再会を託したのに対し、本歌は同じ「天地の」の歌い出しで、恋の深さを天地に比べている。
作者の狭野弟上娘子は、宮中の蔵部に仕えた女嬬と呼ばれる下級の女官で、狭野茅上娘子とも記される。
左注に「右九首娘子」とあり、本巻の第三千七百四十五首から第三千七百五十三首までの九首は、宅守の歌に答えて娘子が贈った歌である。本巻の後半には、中臣宅守と狭野弟上娘子とが交わした贈答歌六十三首が収められている。巻の目録によれば、宅守が蔵部の女嬬であった娘子を娶った時に、勅によって越前国に配流されたという。配流の地は越前国の味真野、現在の福井県越前市付近とされる。
初句「天地の」 天と地のの意で、宅守が詠んだ本巻の第三千七百四十首と同じ歌い出しである。
二句「底ひのうらに」 「底ひ」は果て、極まる所、「うら」は内の意で、天地の果ての内にの意である。
三句「我がごとく」 私のようにの意である。
四句「君に恋ふらむ」 「らむ」は現在の推量で、あなたを恋い慕っているであろうの意である。
結句「人はさねあらじ」 「さね」は打消と呼応して決しての意、「じ」は打消の推量で、そういう人は決していないだろうと結ぶ。
そこひ:果て、極まる所
うら:内、内部
- 作者
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狭野弟上娘子
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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他国に君をいませていつまでか 我が恋ひ居らむ時の知らなく
- 次の歌
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白栲の我が下衣失はず 持てれ我が背子直に逢ふまでに