向ひ居て一日もおちず見しかども
厭はぬ妹を月わたるまで
- 歌の意味
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向かい合って一日も欠かさず見ていたけれども、少しも見飽きることのなかった妻を、ひと月を越えるまで見ないで過ごしている。
- 鑑賞
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巻第十五 中臣宅守狭野弟上娘子贈答歌 3756
詞書は前の歌に続き「中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子と贈答する歌」
向かい合って毎日見ていても見飽きることのなかった妻を、ひと月以上も見ずに過ごしていると嘆いた歌である。共に暮らした日々の満ち足りた思い出と、離れて過ごす今の欠落感とが対比されている。結句を「月わたるまで」で言いさし、見ずにいる嘆きを余韻として残している。
作者の中臣宅守は中臣東人の子で、神祇を司る中臣氏の出である。罪を得て越前国に配流されたが、のちに赦されて都に戻った。
左注に「右十三首中臣朝臣宅守」とあり、本巻の第三千七百五十四首から第三千七百六十六首までの十三首は、宅守が配流の地から娘子に贈った歌である。本巻の後半には、中臣宅守と狭野弟上娘子とが交わした贈答歌六十三首が収められている。巻の目録によれば、宅守が蔵部の女嬬であった娘子を娶った時に、勅によって越前国に配流されたという。配流の地は越前国の味真野、現在の福井県越前市付近とされる。
初句「向ひ居て」 向かい合っていての意で、共に暮らしていた日々を指す。
二句「一日もおちず」 「おつ」は欠ける意で、一日も欠かさずの意である。
三句「見しかども」 「しか」は過去の助動詞「き」の已然形で、見ていたけれどもの意である。
四句「厭はぬ妹を」 「厭ふ」は嫌う、飽きる意で、見飽きることのなかった妻をの意である。
結句「月わたるまで」 ひと月を越えるまでの意で、そのあとに続く「見ずに過ごしている」の意を言いさして余韻を残している。
おつ:漏れる、欠ける
いとふ:嫌う、飽きる
- 作者
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中臣宅守
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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愛しと我が思ふ妹を山川を 中にへなりて安けくもなし
- 次の歌
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我が身こそ関山越えてここにあらめ 心は妹に寄りにしものを