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我が身こそ関山越えてここにあらめ
心は妹に寄りにしものを

歌の意味
私の身こそ、関所のある山を越えて、ここにいるのだけれども、心は妻のもとに寄り添ってしまっているのに。
鑑賞
巻第十五 中臣宅守狭野弟上娘子贈答歌 3757

詞書は前の歌に続き「中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子と贈答する歌」
 身は関所の山を越えてここにいるが、心は妻のもとに寄り添っていると詠んだ歌である。身と心とを分けてとらえることで、遠く離れていても心は常に妻のそばにあることを表している。前歌で見ずにいる嘆きを詠んだのを受け、本歌では心だけは離れていないと自らを慰めている。
 作者の中臣宅守は中臣東人の子で、神祇を司る中臣氏の出である。罪を得て越前国に配流されたが、のちに赦されて都に戻った。
 左注に「右十三首中臣朝臣宅守」とあり、本巻の第三千七百五十四首から第三千七百六十六首までの十三首は、宅守が配流の地から娘子に贈った歌である。本巻の後半には、中臣宅守と狭野弟上娘子とが交わした贈答歌六十三首が収められている。巻の目録によれば、宅守が蔵部の女嬬であった娘子を娶った時に、勅によって越前国に配流されたという。配流の地は越前国の味真野、現在の福井県越前市付近とされる。

 初句「我が身こそ」 「こそ」は係助詞で、結びは三句の已然形「め」となる。私の身こそはの意である。
 二句「関山越えて」 「関山」は関所のある山で、越前へ向かう道の山を指す。
 三句「ここにあらめ」 「め」は推量の「む」の已然形で、初句の「こそ」を受け、ここにいるけれどもと逆接的に下へ続く。六音の字余りである。
 四句「心は妹に」 心は妻にの意で、初句の「身」と対をなしている。
 結句「寄りにしものを」 「に」は完了、「し」は過去、「ものを」は逆接を含む詠嘆で、寄り添ってしまっているのにと結ぶ。

せきやま:関所のある山
作者
中臣宅守
出典
万葉集
前の歌
向ひ居て一日もおちず見しかども 厭はぬ妹を月わたるまで
次の歌
さす竹の大宮人は今もかも 人なぶりのみ好みたるらむ