さす竹の大宮人は今もかも
人なぶりのみ好みたるらむ
- 歌の意味
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宮廷の人々は、今もやはり、人をからかうことばかりを好んでいるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十五 中臣宅守狭野弟上娘子贈答歌 3758
詞書は前の歌に続き「中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子と贈答する歌」
宮廷の人々は、今もやはり人をからかうことばかり好んでいるのだろうかと詠んだ歌である。配流の身となった自分や残された娘子が、宮廷の人々のうわさや嘲りの種になっているのではないかという、苦い思いが表されている。恋の歌の続く一連の中で、宮廷社会への恨みをにじませた異色の一首である。本文の三句には「一云 今さへや」との注記があり、三句を「今さへや」とする異伝を示している。注記は歌の本文から除き、ここでは本文の読みに従う。
作者の中臣宅守は中臣東人の子で、神祇を司る中臣氏の出である。罪を得て越前国に配流されたが、のちに赦されて都に戻った。
左注に「右十三首中臣朝臣宅守」とあり、本巻の第三千七百五十四首から第三千七百六十六首までの十三首は、宅守が配流の地から娘子に贈った歌である。本巻の後半には、中臣宅守と狭野弟上娘子とが交わした贈答歌六十三首が収められている。巻の目録によれば、宅守が蔵部の女嬬であった娘子を娶った時に、勅によって越前国に配流されたという。配流の地は越前国の味真野、現在の福井県越前市付近とされる。
初句「さす竹の」 「大宮人」などにかかる枕詞である。
二句「大宮人は」 「大宮人」は宮廷に仕える人々のことである。
三句「今もかも」 「か」は疑問の係助詞で、結びは連体形「らむ」となる。今もやはりの意である。異伝では「今さへや」となっている。
四句「人なぶりのみ」 「人なぶり」は人をからかい、もてあそぶことで、そればかりをの意である。
結句「好みたるらむ」 「たる」は存続、「らむ」は目の前にない現在の事柄の推量で、好んでいるのだろうかと結ぶ。
さすだけの:「大宮人」などにかかる枕詞
おほみやびと:宮廷に仕える人
ひとなぶり:人をからかい、もてあそぶこと
- 作者
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中臣宅守
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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我が身こそ関山越えてここにあらめ 心は妹に寄りにしものを
- 次の歌
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たちかへり泣けども我れは験なみ 思ひわぶれて寝る夜しぞ多き