心なき鳥にぞありける霍公鳥
物思ふ時に鳴くべきものか
- 歌の意味
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思いやりのない鳥であることよ、ほととぎすは。物思いに沈んでいる時に、鳴いてよいものか。
- 鑑賞
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巻第十五 中臣宅守狭野弟上娘子贈答歌 3784
詞書は前の歌に続き「中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子と贈答する歌」
ほととぎすは思いやりのない鳥であることよ、物思いに沈んでいる時に鳴いてよいものかと、ほととぎすを責めた歌である。恋しさをかき立てる鳴き声を、人の心を思いやらないしわざとしてとがめている。ほととぎすへの恨みは一連の中で次第に強まり、ここでは「心なき鳥」とまで言い切っている。
作者の中臣宅守は中臣東人の子で、神祇を司る中臣氏の出である。罪を得て越前国に配流されたが、のちに赦されて都に戻った。
左注に「右七首中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌」とあり、本巻の第三千七百七十九首から第三千七百八十五首までの七首は、宅守が花や鳥に寄せて思いを述べた歌である。七首のうち六首がほととぎすを詠んでいる。本巻の後半には、中臣宅守と狭野弟上娘子とが交わした贈答歌六十三首が収められている。巻の目録によれば、宅守が蔵部の女嬬であった娘子を娶った時に、勅によって越前国に配流されたという。配流の地は越前国の味真野、現在の福井県越前市付近とされる。
初句「心なき」 「心なし」は思いやりがない、情けを知らない意である。
二句「鳥にぞありける」 「ぞ」は係助詞で、結びは連体形「ける」となる係り結びである。「けり」は気づきの詠嘆で、鳥であることよの意。ここで切れる二句切れである。
三句「霍公鳥」 二句の「鳥」が何かを示し、倒置によってほととぎすを名指ししている。
四句「物思ふ時に」 物思いに沈んでいる時にの意で、一連で繰り返される句である。
結句「鳴くべきものか」 「べき」は当然、「ものか」は反語で、鳴いてよいものか、いやよくないと責めて結ぶ。
こころ:思いやり、情け
- 作者
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中臣宅守
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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旅にして妹に恋ふれば霍公鳥 我が住む里にこよ鳴き渡る
- 次の歌
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霍公鳥間しまし置け汝が鳴けば 我が思ふ心いたもすべなし